CCJJournal

  • Movie

2025.07.03

「パリ・オペラ座 IN シネマ 2025」7月4日より誕生150年のオペラ「カルメン」上映。 幾重もの時代のレイヤーのなかに浮かび上がる普遍の物語

2025年7月4日(金)~2025年9月18日(木)まで「パリ・オペラ座 IN シネマ 2025」では厳選のオペラ2作品、バレエ1作品を映画館で上映する。その第1弾を飾るのはカリスト・ビエイト演出によるオペラ「カルメン」。舞台をフランコ政権時代のスペインに読み替えた話題作が、カルメン初演150年の今年、上映される。

エリーナ・ガランチャ(カルメン)とロベルト・アラーニャ(ドン・ホセ)

■初演から150年を迎えた名作オペラ

オペラの名作は、と問われほぼ必ず名の上がるビゼー作曲「カルメン」は、1875年にパリのオペラ・コミック座で初演された。当時は主人公のカルメンがジプシー(ロマ)であったり、貴族社会ではなく庶民や労働者、兵士、密輸業者が登場する生々しい社会が舞台であったり、またオペラ・コミック座という軽い芝居を扱う劇場では重い顛末であったりといったことなどで不評を買ったが、手直しを加えたウィーンでの再演を皮切りにドイツやロンドンなど各国で称賛を浴びた。バレエやミュージカルなど様々な作品にアレンジもなされており、バレエファンにとってはプティ版、アロンソ版が知られているところだ。オペラでも18世紀のセビリアを舞台としたオーソドックスなものから、現代に舞台を読み替えたものなど、様々な舞台が上演されている。

■時を越えて問われる「自由」の姿

「カルメン」のあらすじは、奔放な女性カルメンに魅了されたドン・ホセの悲恋。竜騎兵ドン・ホセはカルメンを追い密輸団の組織に加わってしまうが、カルメンの恋は自由。花形闘牛士エスカミーリョと恋仲になり、捨てられたドン・ホセは彼女に復縁を迫るものの拒否され、そして悲劇が起こる……。

カルメンという女性は何ものにも縛られない自由な、心のままに生きる女性だ。そしてその覚悟は生半可ではない。命の危機を予感し恐怖しながらも、それでも自身の心――あるいは魂の自由を貫こうとする生きざまがそこにはある。

今作のビエイト版「カルメン」の舞台は1939年~1975年、フランシスコ・フランコによる軍事的一党独裁体制により、言論や出版、集会の自由など、様々な抑圧や制限があった時代のスペインで、舞台上は1960~70年代だろう。とはいえ政治的イデオロギーが舞台上で繰り広げられるわけではなく、パリ・オペラ座バスチーユの広大な空間に乾いた砂地とくらい空が広がり、赤と黄のスペイン国旗だけが異様なまでに色彩を放つのみである。舞台があまりにがらんとしているため、舞台を走る大型ベンツでさえ小さく、よりどころを求める群衆の姿がより心もとなく見えるという演出が絶妙なのである。

本作は「カルメン初演から150年」という節目により、「パリ・オペラ座INシネマ 2025」の上演ラインナップに加わった作品だが、そうした時代背景を考えると、はたして初演から150年を経て、カルメンはどれだけ自由になったのだろうかと、つい考える。

150年前の男性主体で女性の権限が制限されていた時代を経てなお、世の中は依然ジェンダー不平等問題が浮かび上がる。言論統制や検閲からは自由であるはずなのに、情報の隠蔽や顔色をうかがいながら言葉を飲みこむすっきりしない空気が流れてはいないだろうか。こうしたことを考えさせられるのが「普遍性のある作品が持つ力」でもあるのだが、一方で人間とは何年同じ命題を繰り返しているのかとも思わせられるのである。

スーパースターの面目躍如、実力派歌手の共演は必見

こうした深い世界を描き出すのはもちろんアーティストらの技量によるもので、とくにカルメンのエリーナ・ガランチャ、ドン・ホセのロベルト・アラーニャはさすが超スーパースターだと唸る名演。今回の上演作の収録は2017年だが、よくぞこれを見せてくれたという、必見作といっていい。

とくにガランチャ演じるカルメンは危うさと強さと品、艶やかさが混在し、いわゆるはすっぱなロマというよりは現代に生きる生々しい、等身大の女性だ。ドン・ホセのアラーニャはフランス人ゆえ当然なのだが、しかしフランス語に乗せた歌詞が魂を震わせるかのように繊細に響き、恋で心が壊れて狂気に落ちていくさまが切々と伝わってくる。ドン・ホセは現代版に読み替えると特に、演者によっては単なるヤバいストーカーに陥りがちなのだが、アラーニャは狂気の匙加減が絶妙なのである。

強いようで、実は心のブレと常に戦っているカルメンやそもそも繊細なドン・ホセに対して、自分に対するブレが全く感じられない闘牛士エスカミーリョを演じるイルダール・アブドラザコフの存在感が圧倒的。花形として地位を築いた満ち満ちたる自信はこれほどまでに強いものかと唸らされる。さらに世間知らずであるがゆえの純粋さという強さを見せるドン・ホセの許嫁ミカエラ(マリア・アグレスタ)も情緒的で絶妙な立ち位置とともに物語に彩を添えている。

フランコ政権が終焉した1975年は、カルメン初演から100年後であり、日本で言えば昭和50年。世代によって時代感覚が若干感覚は異なるが、平成・令和の世代にとっても両親祖父母が過ごした時代と考えれば、あながち歴史の彼方の物語とは言い切れないのではなかろうか。現代への読み替え作のなかでも、この「カルメン」はとくに身近に迫る。1週間のみの貴重な上演の機会である。

闘牛士エスカミーリョを演じるイルダール・アブドラザコフ

ミカエラを演じるマリア・アグレスタ Pontet

■パリ・オペラ座 IN シネマ 2025「カルメン」
7/4(金)~7/10(木) 1週間限定公開

音楽:ジョルジュ・ビゼー
言語:フランス語
演出:カリスト・ビエイト
映像監督:フランソワ=ルネ・マルタン
映像共同制作:パリ・オペラ座、カメラ・ルシーダ・プロダクション
出演:ロベルト・アラーニャ、エリーナ・ガランチャ、イルダール・アブドラザコフ
上映:TOHOシネマズ 日本橋 ほか
https://tohotowa.co.jp/parisopera/

写真:©Vincent Pontet

「パリ・オペラ座 IN シネマ 2025」は引き続きバレエ「眠れる森の美女」、オペラ「蝶々夫人」を上映予定。

Art & Travelライター
西尾知子

SHARE