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2023.08.10

フォトグラファー、表現者 マックス・ウォルドマンについて

瞬間と永遠のロマンティシズム
フォトグラファー、表現者

CCJは横浜市民ギャラリーあざみ野 (公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)、DST-NEXTとの共催により、また株式会社DBI Max Waldman Archives,USA、横浜美術館(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団) の協力を得て、2023年8月20日(日) に「憧れて踊る 憧れを語る レンズがとらえた二十世紀のスターたち」を開催致します。⁡写真家 マックス・ウォルドマンの舞踊写真集Max Waldman on Danceからまばゆい輝きの二十世紀のスターたちを紹介し、憧れのスターダンサーの魅力を語ります。

そこでCCJ Journalでは、写真家 マックス・ウォルドマンとは何者なのか、なぜ一流のダンサー達が彼に撮影して欲しいと願ったのかをご紹介していきます。

 

マックス・ウォルドマン MAX WALDMAN

© Max Waldman Archives/USA. All rights reserved.

 

プロフィール

1919年ニューヨーク/ブルックリンで生まれる。
コマーシャルフォトグラファーとして活躍していた彼は、それまでの商業写真の世界と決別し1965年、マンハッタン17丁目に17th Street studioを創設。「天井が低く雨が降っているように暗く指抜きのように狭い」と本人も認めるスタジオであったが、それこそウォルドマンが描く理想の環境だった。彼は自分が選んだ好きなものだけを撮る生活をスタートさせた。
「ウォルドマン・オン・シアター」に続き、1977年「ウォルドマン・オン・ダンス」を刊行。遡れば1965年、亡命したキーロフ・バレエ(現マリインスキーバレエ)のプリマ・バレリーナ、ナタリア・マカロワの撮影を「ライフ」誌から依頼され、これがウォルドマンとダンスの世界とのロマンスの始まりとなった。有名な『瀕死の白鳥』ではマカロワが美しい古典美を見事に体現し、見る人々の目に焼き付いて離れない。空高く飛翔する鳥が深淵に落ちていく、人々は滅んでいく白鳥の苦しみと哀切な一瞬を目の当たりにして心を動かされる。
マカロワのみならずファレル、バリシニコフなど70年代を飾った世界的スターダンサーたちも同様に自らの肉体が舞うダンスという瞬間の芸術をウォルドマンのカメラに永遠に残すことを望んだ。バリシニコフはプティの「若者と死」、P. マーティンス&S.ファレルはバランシンの「シャコンヌ」といった具合に。
また、ウォルドマンは70年代半ばにモダンダンスのパイオニアであるマーサ・グラハムと20世紀を代表するアーティスト、イサム・ノグチの歴史的なコラボレーションを撮り続けたことでも記憶にとどめておきたい。

マンハッタンの17th Street studioで繰り広げられた贅沢な、瞬間と永遠のロマンティシズムの競演は1986年3月彼の死去で終焉を告げる。享年61歳。その突然の死はニューヨークタイムズで大きく追悼記事が掲載され、ウォルドマンの被写体となった多くの著名なダンサーたちの深い悲しみと涙を誘った。彼の作品はニューヨーク近代美術館を始め海外の主要美術館でコレクションされている。

© Max Waldman Archives/USA. All rights reserved.

 

日本での紹介と反響

バブル期の最中にあった1988年、PARCO Vision Contemporaryの1冊として「マックス・ウォルドマン写真集-MAX WALDMAN ON DANCE」が出版された。東京・札幌の同ギャラリーでは出版記念写真展が開催され同展はバレエファンだけでなく写真芸術ファンまで幅広い観客を集めパルコ・ギャラリー始まって以来最高の入場者記録を達成。あれから40年が経過しウォルドマンのカメラが捉えたマカロワ、バリシニコフなど世界最高峰のスターダンサーたちが表舞台から姿を消した今でも、彼が写真に残した幻想と永遠のロマンティシズムの競演は人々を魅了し続けて止まない。

ウォルドマンは被写体を演技者、ダンサー、ヌードという3つのテーマに絞りそれぞれのテーマを光線と微妙な明暗により独特の色調で紡ぎだす。画家ボッシュ(ボス)、ゴヤ、ドーミエ、レンブラント、ミケランジェロなどに影響を受けたウォルドマンが描写する幻想的な世界は、演劇的で、メランコリック、苦渋に充ちている。
1919年ニューヨーク/ブルックリンでルーマニア系の家庭に生まれたマックス・ウォルドマンはNY州立バッファロー大学、アルブライト美術学校、またアートステュ―デントリーグで彫刻を学んだ後、ファッション、商品広告の世界で成功を収めたが(1945-65)、生涯を通して愛してやまなかった絵画やクラシック音楽、美術、シェイクスピアの世界が彼の人生を方向づけた。

 

ウォルドマンの決断と演劇

ウォルドマンは、それまでの商業写真の世界と決別し、1965年、マンハッタン17丁目に撮影スタジオを開設。当初、天窓の光で撮影していた彼は後に「レンブラント的明暗を出すために」ストロボを使い始めた。初期には当時の前衛芸術に夢中になり女優ローズマリー・ハリス、俳優のイーライ・ウォラック、ゼロ・モステル、劇作家ハロルド・ピンターなどと親交を深めた。

1965年ウォルドマン最初の写真集である「ゼロ・バイ・モステル」が出版された際に解説を頼まれた友人オリヴァー・ダーリングは本の仕上がりをみた瞬間にこう言った。「マックス、僕の解説は必要ない、君の写真がすべてを語ってるよ」。1967年に撮影されたロイヤル・シェイクスピア劇団/ピーター・ブルック演出「マルキ・ド・サド」シリーズでは想像力に富むウォルドマンの解釈と彼独特の芸術的なアプローチが高く評価され、これを契機にニューヨーク近代美術館での個展が実現した。同展を企画したメンバーの一人、高名な作家、歴史家で後に東京国立近代美術館顧問も務めたピーター・ブネルは「ウォルドマンの写真は官能的で我々の心の内部になにかを喚起する。また演劇の本質とその表現に謎めいたベールをも被せた」と述べている。その後写真集「ウォルドマン・オン・シアター」が出版されて(1971年)彼のフォトグラファーとしての名声はここに確立された。

 

ウォルドマンとバレエのロマンス

1965年、亡命したキーロフ・バレエ(現マリインスキーバレエ)のプリマ・バレリーナ、ナタリア・マカロワの撮影を「ライフ」誌から依頼され、これがウォルドマンとダンスの世界とのロマンスの始まりとなった。
批評家クライヴ・バーンズは「マカロワの瀕死の白鳥は我々のまさに目の前で演じられているーまるで音楽が聴こえてくるかのように、動くはずもない写真が我々の頭の中で動き出す」と述べる。シンシア・グレゴリーとブルース・マークスの「ムーアのパバ―ヌ」はウォルドマンが求める「哀切」の精神にぴったりと合致する。ルネサンス時代のフィレンツェを想起させる中世的舞台と衣装の前で、情熱と悲劇の場面が繰り広げられる。
ウォルドマンが創造する独特の明暗の中で、ダンサーの肉体的な美しさが黒と白のコントラストの中に劇的な輪郭線をあらわし、その明暗が織りなす粒状性の色濃いテクスチャーは音楽がなりやんでも残像が持続する。

© Max Waldman Archives/USA. All rights reserved.

 

マーサ・グラハムvs イサム・ノグチvs マックス・ウォルドマン

ウォルドマンは70年代半ばにかけて舞踊家/振付家マーサ・グラハムと、彫刻家イサム・ノグチの完璧で歴史的なコラボレーションを撮り続けた。グラハムの傑作で代表作でもある『Appalachian Spring (アパラチアの春)』『Night Journey(夜の旅)』『Frontier(フロンティア)』『Cave of the Heart(ハートの洞窟)』『クライテムネストラ(Clytemnestra)』などの作品に於いてイサム・ノグチは無駄を省いた抽象的な舞台美術でそれまでの既成概念を革新。マックス・ウォルドマンは、時代のアイコンたちが切り開いた類まれなる作業も貴重な記録として残している。

 

ウォルドマンの撮影哲学とダンサー

ウォルドマンは演劇とダンスに精力を集中したが、彼の撮影手法はそれぞれ大きく異なる。
演劇では演者を演出することにより被写体をコントロールできたが、ダンスについてはそうはいかない。空中のダンサーの瞬間の動きをコントロールできないが逆に予想外の幸運なアクシデントを生じることがある。
ジュディス・ジャミソンの「クライ」では彼女の動きをコントロールすることはできなかったが、彼が「見た」美しいジャミソンをそこに残した。ウォルドマンにとって静止した動きは進行中でもあり、そのフォルムは空間にマジックのように流麗な線を描く。「牧神の午後」でのスザンヌファレルとピーター・マーティンスの絡み合う肉体、「ロミオとジュリエット」でのゲルシー・カークランドとイヴァン・ナジのロマン的悲劇、これはすべてウォルドマンの崇高な芸術性を物語る。生来それぞれのダンサーが持っている“つかみどころのない”芸術性や瞬時に消え去る個性をウォルドマンのカメラが映しだし表現し、美しい映像として残す。そのたびにダンサーたちは探求心溢れる伝統主義者の才能に引き込まれていった。

常に自身でテーマを精査していたウォルドマンは被写体になるダンサーの舞台を見た後、暗く狭いスタジオで再現させた。ただ、彼はダンサーにポーズを要求したり途中で動きを止めたり特段コメントもしなかったためダンサーはカメラを意識することなくダンスに集中できた。ダンサーとして写真を撮られるのを非常に警戒しカメラマンからポーズを要求されると、その場で辞退していたという元ABTのゲルシー・カークランドは「ダンスをフィルムに収めることは無意味だと思っていたためポーズすること自体、自分が創造しようとする演劇的幻想の価値を失わせる」とまで言っていたが、これはマックス・ウォルドマンに出会う以前の話。彼女はその後、こうも言っている「ウォルドマンが見たものをもう一度見る。永遠の演劇性がダンスのエッセンスであることに気づくのは無上の喜びだった」と。ウォルドマンはダンス、ダンサーを撮ることで初めて経済的に自立することが可能となった。人々は彼の撮るダンサーのモノクロ写真を買い求め、ダンサーは舞台が跳ねた後、衣装を手にしてウォルドマンのスタジオを訪れ舞台セットも何もない狭苦しい空間で自分の踊りを永遠に美しい映像に残して欲しいと願った。

バランシンの秘蔵っ子バレリーナとしてデビューし、スーパースターのバリシニコフと伝説的パートナーシップを確立し自らもウォルドマンの被写体となったバレリーナ、ゲルシー・カークランドはマックス・ウォルドマンの死を深く悼みながらウォルドマンを「永遠の瞬間の魔術師/a master of the timeless moment」と表現、友人でコレオグラファーのフランス・アレニコフも「ウォルドマンの才能は逃げ去っていく瞬間を永遠のものとすることで、或る一つの芸術の詩的エッセンスをまったく別ものに変質させた」と述べている。

隈本公伸/DBI INC, © Max Waldman Archives/USA. All rights reserved.

© Max Waldman Archives/USA. All rights reserved.

 

CCJでは、2023年8月20日(日)14:00より横浜市民ギャラリーあざみ野にて、「憧れて踊る 憧れを語る レンズがとらえた二十世紀のスターたち」を開催致します。詳しくは下記URLをご覧くださいませ。

皆様のお越しを、心よりお待ちしております。

Max Waldman on Dance 憧れて踊る 憧れを語る レンズがとらえた二十世紀のスターたち

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